【代表者インタビュー】株式会社バンクライト 代表取締役CEO 笹島 敦史

バンカーの「目の輝き」が、地域の未来を照らす
「日本の未来をつくる主人公はバンカー」—ネジ工場の社長に教わった「一流」の意味と、2,000人のバンカーとの対話が導いた起業の決断
「地方銀行や信用金庫で働く行職員」 ——『バンカーの仕事は、今よりももっと豊かに、おもしろくできる』
こんなスローガンを掲げて2025年に設立されたのが、株式会社バンクライトです。
代表取締役の笹島 敦史さん(以下、笹島さん)は、三井住友銀行での法人営業を皮切りに、インテリジェンス(現パーソルキャリア)、サーキュレーションを経て独立。前職では地方銀行・信用金庫90行庫との業務提携を仲間と共に築き上げ、7年間で累計2万社を超える経営者との接点をバンカーからの紹介により生み出してきました。そのキャリアの出発点には、銀行員1年目に訪れた東大阪の小さなネジ工場の社長から受けた、「一流のバンカーとは何か」という問いかけがありました。
「バンカーの目の輝きを、今以上に強く、熱くしたい。その輝きが地域企業を照らし、日本の未来を明るくする」。これまで2,000人を超えるバンカーと対話を重ねてきた笹島さんに、その原点と想いについて伺いました。
【プロフィール】

株式会社バンクライト
代表取締役CEO 笹島 敦史
趣味
車の運転、アクアリウム
座右の銘
Be a driver.
尊敬する人
圧倒的に「妻」
学生が読むべき本
「斎藤一人の道は開ける」永松 茂久
経営者におすすめの本
「『ついやってしまう』体験のつくりかた 人を動かす『直感・驚き・物語』のしくみ」玉樹 真一郎
人生で一番熱狂したこと
常に「今この瞬間」
「地方創生という概念をなくす」 —バンカーに全集中する理由

地域に「働きたい」と思える会社を増やすために
小川:まず、御社のビジョンと事業の概要を教えてください。
笹島さん:弊社のビジョンは「日本から地方創生という概念をなくす」というものです。地方創生という言葉が生まれて10年以上が経ちましたが、地方から都心部への人口流出は止まっていません。国の施策だけに頼っていては変えられないと感じています。
では民間企業に何ができるのかと考えたとき、答えはシンプルでした。その地域に「働きたい」と思える会社を増やすことです。そのために最も倒すべきヘッドピン、つまりボウリングでいう一番手前のピンに当たる存在が、地方銀行と信用金庫だと考えました。どの地域でも資産規模でトップクラスに入り、地域企業と最も深い信頼関係を築いてきた存在です。
バンカーが地域企業の成長を主語にした提案ができるようになり、そこに融資がセットになっていれば、地域企業は挑戦を続けられる。挑戦する企業が増えれば、若者が「地元にも面白い会社がたくさんあるなら、東京に行かなくても良い」もしくは「東京に出てきたが、地元でもやりたいことが出来る」と思える地域になる。そのためにバンカーの仕事をアップデートしたいと考え、ミッションは「バンカーの仕事を 今よりももっと豊かに おもしろくする」と掲げました。
事業としては主に2つ、バンカーの提案活動を支援する「AI SaaSの企画・開発」と、事業会社が地方銀行・信用金庫と業務提携をするための「バンクアライアンスマーケティング支援」を行っています。
原点は東大阪のネジ工場—「一流のバンカーとは何か」を教えてくれた社長

「ハズレを引いた」と思った配属先で待っていた出会い
小川:バンカーへのこれほど強い思いは、どこから生まれたのでしょうか?笹島さんご自身の経歴について教えてください。
笹島さん:原点は、社会人1年目。三井住友銀行で法人営業のデビュー戦を迎えたときに出会った、東大阪の企業です。
神戸で生まれ育った私は、都心部でIT企業を担当する華やかな銀行員生活を思い描いていました。ところが研修後に受け取った辞令には「東大阪」と書かれていた。同期から「工場地帯だよ」と言われ、正直なところ「ハズレを引いた」と思いました。
初めて担当したのは、年商3億円ほどの小さなネジの製造会社です。工場のカーテンを開けると、ネジが飛び出す金属音が響きわたり、潤滑油の匂いが充満している。「しかもデビュー戦がネジの会社か・・」と落胆した気持ちで訪問したことを覚えています。
「お前、今何した?」—椅子に座るという当たり前の中にある価値
小川:そのネジ工場の社長から、大きな影響を受けたのですね。
笹島さん:そうです。初めての訪問で、社長から「お前、そこに座って」と言われて会議室の椅子に座りました。そして、座った瞬間に「今、お前は何をした?」と聞かれたのです。何のことか分からず戸惑っていると、社長はこう言いました。
「お前は何も確認せずに椅子に座った。人生で一度も、椅子が壊れないかを確認したことはないだろう。それは、うちのような会社がつくっているネジが、何万回と体重を支えても折れずに機能し続けているからだ。この「椅子が壊れない」という当たり前、つまり安心安全という「当たり前」 をつくっているのが、うちの会社のネジだ」と。
1本1円にも満たないネジもある。何百本、何千本とセットにしてやっと数百円になるビジネスです。しかし社長はそこに誇りを持っていました。
「二流はネジしかみない。一流は価値をみる」ー23歳の私を震わせた社長の言葉
小川:ネジの価値を、そのような視点で語る社長の姿に心を動かされたのですね。
笹島さん:そして社長は続けました。「二流のバンカーは、うちのことをネジをつくっている小さな会社としかみない。でも一流は違う。会社が何をつくっているかではなく、どんな価値を届けているのか。その価値が誰を幸せにしているのか。そこまで想像できるのが一流のバンカーだ。お前はどんなバンカーになるんだ?」と。
「一流になりたいです」と答えたら、社長が「よっしゃ、ほな、うちに金貸してくれや!」とガハハと笑った。その瞬間、心を鷲掴みにされました。そこから地域の中小企業に惚れ込み、社長たちがなぜこの会社を営んでいるのか、その物語を知ることに夢中になっていったのです。
「うちなんか」という言葉が変えたキャリアの方向

中小企業の採用難という現実に気づいた瞬間
小川:中小企業を深く知る中で、新たな課題がみえてきたのですね。
笹島さん:社長たちに惚れ込めば惚れ込むほど、知らなかった一面がみえてきました。それが「人が足りない」という事実です。
ある社長から「うちみたいな会社にはね、お前みたいに若くて威勢の良い人間は来てくれないんだよ」と言われたことがあります。普段は明るく「うちはな、うちはな」と自社を語っていた社長が、採用の話になった途端、「うちなんか、うちなんか」と言葉が変わったのです。
「社長が『うちなんか』と言ったら、そこで働いている従業員のみなさんは寂しくないですか?せめて『うちだって』と言ってください」と伝えたら、「綺麗事じゃないんだ。中小企業の雇用は本当に難しいんだぞ。じゃあお前は、うちに入りたいか?」と返されて、ドキッとしました。
その後、50社を超える担当企業に同じ話を聞いてみると、ほとんどの社長が「うちなんか」と言っていました。これは日本全国の中小企業に共通する課題なのではないか。今すぐに何とかしなければ、と感じました。
「後継ぎにならないか」—社長の本気が、銀行を辞める決断を後押しした
小川:当時の銀行員としては、そうした課題に対して打てる手がなかったのでしょうか?
笹島さん:はい。ある日、自分で新規開拓をした取引先の社長に呼び出されました。いつものように融資の相談かと思って訪問をしたら、内定通知書を急に渡され「後継ぎにならないか」とまっすぐ目をみて言われたのです。企業にとって、意欲のある若い人間がそれほど貴重だということを突きつけられた瞬間でした。
「仮に私が入社をしたとしても、日本の99%を占める中小企業の人手不足は解消しない。この日本の課題を、私が解決をします」とお断りをし、それから1ヶ月後に銀行を辞めました。当時の銀行には事業性評価という概念もなく、バンカーとして企業の成長を支援できる武器(提案の選択肢)は少なかった。だから銀行の外に出て、中小企業の人材課題に向き合おうと決めたのです。
理想と現実の間で—「変えたかったのに、変えられなかった」苦悩の日々

人材紹介の構造が、中小企業から人を引き抜いていた
小川:銀行を辞めてからは、どのようなキャリアを歩まれたのですか?
笹島さん:中小企業の人材課題を解決したいという一心で、インテリジェンス(現パーソルキャリア)に転職しました。しかし入社後に気づいたのは、人材紹介という仕組みそのものが、地方の中小企業から人を引き抜く構造になっている側面があるということでした。
働く個人からすると転職はキャリアアップとしての有力な手段です。キャリアアップとは、いま在籍をしている企業より規模の大きな会社や、より待遇の良い会社へ移ること。人が自然と流れてくる大企業や都心部の会社は良いのです。転職という手段を通して人が集まり、より企業の成長を加速させる「ヒト」という経営資源の厚みを増すことが出来る。
けれど地方企業や中小企業は違います。かつての終身雇用の時代なら、入社した人は定年まで働き続けてくれた。しかし今は、次世代を任せたいと社長が思っていた社員がキャリアアップを目指し転職をしてしまう。結果として、良い人材が流出していく数が、新たに採用できる数を上回ってしまっている。それが「うちなんか」と言わざるを得ない中小企業の構造的な苦しさだったのです。「中小企業のために」と社内で叫び続けましたが、私は無力でした。何も変えられなかった。
小川:それでも社内で中小企業支援の重要性を訴え続けたそうですね。
笹島さん:はい。当時の経営幹部から「競合はこれからも大手に注力する方向でいくだろう。だからこそ中小企業に注力するインテリジェンスをつくれ。」というミッションを託され、新たな組織の立ち上げメンバーに選ばれました。社内の営業担当が追っていくKGI・KPIの再設計、人事制度の変更、研修構築、インナーブランディングの企画に2年ほど取り組んだのですが、結局、大きくは何も変えられませんでした。
当時、東京オリンピックに向けた人材バブルと言われていた時期でもあったため、大企業を担当すればより成果が出やすい時代でした。KGIをNPSスコア、重要KPIとして「中小企業に毎月1回進捗の報告をする」というシンプルなアクションを設定しましたが、浸透しなかった。周囲との摩擦も大きくなり、「なんでこいつの言うことを聞かなければいけないのか」という空気が広がっていくのを感じていました。
自分が力になりたいと願う中小企業が、今もなお目の前で採用に苦しんでいる。採用で力になれるはずの会社に転職までした。なのに自分は何ひとつ変えることが出来ていない。—— その矛盾に、精神的に追い詰められていきました。
あの時期は本当に苦しかったです。自分が信じた道を進んでいるのに、なぜ何も変わらないのか。でも、その経験があるからこそ、「やり方を変えなければいけない」と気づけたし、それ以上に「次に自分が信じたことからもう逃げない」と覚悟を持てたのだと思います。
転機—「転職以外の方法」で中小企業を支援する道

サーキュレーションとの出会いが、視界を開いた
小川:その苦しい時期から、どのように次のステップへ進まれたのですか?
笹島さん:サーキュレーションという会社に出会い、視界が切り開けました。「1人が人生で3回転職する時代から、1人が同時に3社で働く時代をつくる」という新たな考え方に共感したのです。転職ではなく、独立をした人材のシェアリングで中小企業を支援する。これなら会社の規模にも、肩書きにも、場所にも縛られることはない。「うちなんか」と言っていた中小企業の社長たちの力になれると確信しました。
創業2年目にアルバイトとして入社し、入社月に全社最高売上を記録しました。その後初の拠点立ち上げとなる関西支社を設立、2年で15名組織まで成長をさせたあと地方拠点管掌役員となり、最終的には関西・東海・九州・中国・四国・東北・北信越・北海道、合計8支社を統括、70名近いメンバーをマネジメントする立場になりました。
90行庫との提携が証明した「バンカーの可能性」
小川:サーキュレーションでの経験が、現在のバンクライトの事業にどうつながっていったのでしょうか?
笹島さん:地方拠点の立ち上げで苦戦するベンチャー企業が多いと思うのですが、共通してあがってくる課題は「地方の経営者のアポイントはこれまでの電話営業やWEBマーケティングではほとんど取れない」ということです。私たちも全く同じ課題にぶち当たりました。飛び込み営業、FAX、手紙、ラジオCM.. 自分たちで出来ることは全てやり切ったと思います。それでもアポイントを継続的に獲得することは出来ませんでした。
ただ、この経験で気づいたのです。全く新しい土地に来て、カタカナの会社名で、カタカナのサービス名を 「自分たちの力だけ」で届けようとするからうまく進まないのだと。地域には長年続く文化があり、そこに根づいた商圏があります。その商圏に外から来た「他所者」 が強引に入ろうとしたら弾かれます。当然です。
だから、発想を変えることにしました。「自分たちだけの力」 で開拓することをやめようと。「その地域に深く根をはり、その地域の企業成長を支えてきた方々。その方々が成し遂げたいことを理解し、力になれることを証明すれば、きっと共に歩んでくださるはず。」
そう。この考えに最も合致するのが地方銀行・信用金庫のバンカーでした。
決めたあとはただただ夢中でした。仲間とともに地方銀行・信用金庫 約90行庫との業務提携を築き上げ、初の提携から7年間で累計2万社を超える経営者をご紹介いただく基盤が出来たのです。
この経験で確信したのは、バンカーと本気で向き合えば、バンカーは必ず共に動いてくれる。結果的に、地域経済が動くということです。一方、地方銀行・信用金庫の提携責任者の方々の話では、銀行が仮に100社と提携したとしても実際に現場のバンカーが共に動いているのは20社前後という事実でした。「バンカー」にとっては地域企業が求めるサービスがすぐ側にあるのに武器として使いこなせていない。「事業会社」にとってはせっかく高いハードルを超えて提携が出来たのに、紹介がこない。双方が願うかたちが実現出来ておらず、もったいないと心から思いました。
サーキュレーションのサービスは最高でしたが、他社が提供するサービスだって同じぐらい面白いもの、エッジが効いているものは世の中にたくさんあります。だから独立して、バンカーの仕事そのものをアップデートする会社をつくろうと決めました。銀行員時代の原体験、インテリジェンスでの挫折、サーキュレーションでの経験。すべてが1本の軸でつながっています。
バンカーの可能性を、誰よりも信じている

「バンクライト」という社名に込めた思い
小川:社名の由来を教えてください。
笹島さん:「バンク」はバンカーたちを、「ライト」はその目の輝きを表しています。バンカーの目の輝きを、今以上に強く、熱くする。その輝きは地域企業を照らし、日本の未来を明るくする—— この会社名が先に頭の中に浮かんで、そこから事業モデルを組み立てていきました。
これまで2,000人を超えるバンカーと出会ってきましたが、仕事に誇りを持ち、心からの情熱を持って働いているバンカーは恐れずに正直な所感を伝えると10%前後でした。このことは起業後にバンカー自身にも想いを伝えるうえで「事実だ」と認められることが多いです。
また、当社のビジョンを経営者に語ると「何人も会社に出入りしているがバンカーなんて(頼りにできないから)ダメだ」という反応をもらうことがあります。その言葉に、とんでもなく悔しさともどかしさを覚えています。確かにいま、目の輝きが弱まっているバンカーが多いのは事実です。でも皆さんに知ってほしい。バンカー一人ひとりと対話をすれば原点と志が必ずあるのです。厳しいノルマやさまざまな外部環境のなかで、「いま少し迷いが生じているだけだ」と私は思っています。
だからこそ、地方銀行や信用金庫の可能性を私は誰よりも信じています。バンクライトは主役にならなくて良いのです。日本の未来をつくる主人公はバンカーであり、私たちはバンカーの武器になりたい。これがこの会社をつくった理由です。
バンカーの可能性を心から信じてくれる仲間を求めて
小川:最後に、一緒に働きたい人へのメッセージをお願いします。
笹島さん:今、立ち上げメンバー(創業役員)を募集しています。求めているのは、バンカーの可能性を心から信じてくれる人です。地方銀行や信用金庫で働いてきた方で、バンカーのために仕事がしたいという想いを持っている方がジョインしてくれたら最高ですね。
バンカーの仕事は、今よりももっと豊かに、おもしろくできる。弊社のスローガンに共鳴し、現場から地域経済の未来を一緒に変えていける仲間と出会えることを楽しみにしています。
会社概要
| 会社名 | 株式会社バンクライト |
| HP | https://bank-light.com |
| 設立 | 2025年6月 |
| 事業内容 | ・金融機関向け AI SaaS企画・開発 ・事業会社向け バンクアライアンスマーケティング支援 |
| 採用情報 | HPよりお問い合わせください |
※2026年3月31日時点の情報です。
